書籍詳細

BLゲームに異世界転生!? 師匠兼護衛騎士様に溺愛されています!!

竜也りく/著
金ひかる/イラスト

定価 : 1,320円(税込)
発売日 : 2024/01/12

内容紹介

お前が嬉しそうだとオレも幸せだ

前世にやり込んでいたBL冒険ゲームに異世界転生した、大商人の息子ウルク。推しである婚約者の役に立ちたいウルクは冒険者となり、師匠兼護衛騎士のグレイグと出会う。明るく快活なグレイグに幾度も助けられ、冒険者として成長していくウルク。そんな中、二人の通う学園で大事件発生!? 何とか協力して解決したのに、今度は友達だと思っていたグレイグからいきなり告白されて!? 「もうお前も分かってると思うけど、俺はお前が好きだ」と熱い想いで押し倒してきて……。師匠兼護衛騎士様からの溺愛が止まりません!?

人物紹介

ウルク

素直で元気いっぱいな、大商人の息子。前世の記憶をきっかけに、グレイグと冒険に出る。

グレイグ

明るく快活な、少し大人びた冒険者。ウルクの父の依頼により、彼の師匠兼護衛騎士となる。

立ち読み

第一章 婚約者にめちゃくちゃディスられてる


『もう嫌だ! なぜあんな高飛車なヤツが僕の婚約者なんだ……!』
 その悲痛な叫びを聞いた瞬間、オレの脳裏に、あるはずのない記憶がフラッシュバックする。奔流のように流れ込んでくる記憶に頭の中が掻(か)き乱されて、強烈な目眩(めまい)を感じたオレは扉の前でひとり静かにうずくまった。
 扉の向こうでは落ち着いた男の声と、さっき叫んでいた声変わりもまだなんだろうボーイソプラノの会話がなおも続いている。
 オレは目眩と頭痛に苛(さいな)まれつつも、その内容に聞き耳を立てずにはいられなかった。
 だって、扉の向こうで泣きながら「もう嫌だ」って叫んでるのは、間違いなくアールサス・デュール・ド・エルトライク……オレの婚約者だ。
 もちろん『あんな高飛車なヤツ』はオレの事に違いない。
 さもありなん。
 はっきり言ってオレはアールサス様にとっちゃあ『慇(いん)懃(ぎん)無礼』が服着て歩いてるように見えただろう。さっきだって嫌味だと受け止められても仕方ないような事をたくさん言った。
 でもオレだって、突然お父様から、見も知らぬひと学年上の『男の子』が婚約者になるんだって聞かされて混乱してたし。
 お父様に連れられてこのお邸(やしき)に『ご挨拶』に来てみれば、その婚約者らしき男の子からは明らかに不満そうな顔で睨(にら)まれてムカっ腹が立ったし。
 しかもそれからは、オレが訪れる度に面倒そうな仏頂面してるし。
 婚約が決まってこの三ヶ月、いい思い出なんか一個もない。
 オレだっていい加減、嫌味のひとつやふたつ、言ってやったっていいって思ってたんだよね。いや、ひとつやふたつどころじゃなく、めいっぱい言ったけど。
 扉の向こうでは、アールサス様と、そのお父様である伯爵様がなおも会話を続けていた。
『すまないな、アールサス。しかし今は彼らの資金がどうしても必要なのだよ。少なくとも二、三年はこの婚約関係を持続しなくてはならない。ボルド商会は資金を、こちらは婚約による貴族社会での信用を、互いに提供する事になっているのだから』
『……っ』
『どうしても嫌ならばこの婚約は解消する。しかし、せめて二年。二年だけでも我慢してくれないか。このままではわが領は破産してしまう』
 グスっ、グスっ、とはなを啜(すす)る音が聞こえる。それを聞いてたらなんだかオレまで悲しくなってきて、オレはそのまま踵(きびす)を返して元いた書庫まで戻ってきた。
 そもそもオレは案内された書庫で本を読んでいたんだ。
 伯爵位を持っているエルトライク家の歴史ある書庫には、オレの興味をひくような面白い書籍がたくさんあったから。
 オレの事を明らかに嫌っている婚約者様と一緒にいるよりはマシだと思って書庫に案内してもらったんだけど、ちょっと寒そうだからと上着を取りに応接室に勝手に戻ってしまったばっかりに、扉の向こうでなされている自分への恨み言を聞かされてしまったわけだ。
 切ない。
 そういうのはオレが帰ってから言ってくれればいいのに。さっきまでのオレだったら、きっと怒ってそんな風に嫌味を言っただろうと思う。でも、そんな気はなくなっていた。
 脳内に流入して来たよく分からない記憶が、アールサス様が可哀想だと訴えかけてくるからだ。
 シーンと静まり返った書庫で、オレはひとり、さっき急に脳裏に浮かんだ記憶を思い返す。

 さっきの記憶の中でのオレは、社会人五年目、仕事にも慣れてがむしゃらに働くごく普通の会社員だった。記憶があるのが二十七歳までだったから、きっとそのあたりで何らかの理由で死んだんだろう。
 起きて、会社に行って、散々歩き回って飛び込み営業し、クタクタになって家に帰る。みみっちいワンルームでコンビニ飯をかきこんで、あとは風呂に入って寝るだけ。単調な毎日をただただ繰り返す。そんな忙しくも彩(いろどり)のない生活の中で、唯一楽しかったのが晩メシの後にちょっとずつ進めてたスマホゲームだった。
 この世界、オレがハマってたあのゲームに似てる。
 それはBLと冒険がひとつになったようなゲームで、同性しか愛せない事を誰にもカミングアウトできなかったオレにとっては、欲求不満をちょっと和らげてくれるような、癒やしを感じるゲームだったんだ。
 モンスターが跋(ばっ)扈(こ)する殺伐とした世界に勇者として召喚された主人公が、攻略対象者でもある仲間達と一緒に色んなクエストをこなしながら愛を深め、いずれは世界を救っていく。
 そんなよくあるゲームだったけど、とにかくキャラや世界観が美麗で、ただその世界に浸ってるだけで楽しくてワクワクした。
 アールサス様は、あのゲームの世界の攻略対象者のひとりに似てる。もちろんゲームで見たよりか若いけど、雰囲気も髪色も名前も、境遇も酷似してるから間違いないだろう。
 主人公をいつも助けてくれる、ちょっと影のある錬金術師。
 主人公が冒険に詰まる度に様々な知識や錬金術で作り出したもので助けてくれる上に、実は貴族でちょっとしたツテを使って突破口を開いてくれたりもする、ある意味お助けキャラ的存在でもあった。
 ただしバカ高い。
 アールサスにはべらぼうに借金があるらしく、突破口を開いてくれはするものの、お金はガッチリ取られるという鬼畜仕様だった。
 ふんわりと柔らかそうな淡い水色の髪、白磁の肌に憂いのある表情、穏やかで優しい声。気遣うように囁(ささや)きながらその実課金を促してくるのだから恐ろしい。
 課金しなくても足(あし)繁(しげ)く通うと冒険のヒントをくれたり労(ねぎら)ったりしてくれるものだから、オレもしょっちゅう通っていた。
 好みどストライクのアールサスの微笑みに、何度課金したかしれない。
 むしろオレの『永遠の推し』であるアールサスに貢ぐためにクエストを先に進め、現実で稼いでいたと言っても過言ではない。結果、もちろん友好度はマックスで、やっと恋愛モードに切り替わったところだったっていうのに。

 ……おっと、前世の記憶が生々しすぎてアールサス呼ばわりしてしまっていた。
 アールサス様は貴族。
 アールサス様は貴族。
 自分に言い聞かせる。そもそもたてついていい相手じゃなかった。
 それに、オレだってさっきまで自分の境遇を理不尽だと思ってたけど、それ以上にアールサス様だって、この状況を理不尽だと思っていたんだろう。
 あんなに悔しそうな顔をして。
「……」
 ふう、とひとつため息をついた。
 ほんと切ない。
 ゲームでは、画面の向こうからあんなに愛しそうな目で見つめてくれてたのに。
 この世界でのウルクの記憶としては、不機嫌な顔とイヤそうな顔と面倒臭そうな顔のアールサス様しか覚えがない。そりゃそうだよな。だってオレときたら、アールサス様が忌み嫌ってた高飛車婚約者ウルクなんだもんな……。
 またため息が出た。
 あのゲームは途中までしか進んでいなかったから、物語の結末やアールサス様と婚約者ウルクが最終的にどうなっていくのかは正直オレも分からない。
 それでもアールサス様がこの婚約をどう感じているのか、数年後のオレ達がどんな関係性になっているのかくらいは想像がつく。
 さっきアールサス様のお父様は、「二年我慢してくれ」なんて言っていたが、ぶっちゃけこの婚約は結局二年ごときでは解消されない。
 あのゲームでアールサス様は十八歳になっていた。つまり今から三年の時を経ても豪商の息子であるオレことウルクとの婚約は解消されなかったわけだ。あんなにもアールサス様はウルクを嫌っていて、二人はどうしようもなく険悪な関係だったというのに。
 しかもあの主人公への容赦ない金の搾り取りよう。きっとあの時点でも巨額の借金が残っていたに違いない。オレも可哀想だが、アールサス様だって十分可哀想だ。
 またひとつ、大きなため息が出た。
「……」
 さて、どうするべきか……。
 さっき聞いたばっかりの、アールサス様の悲痛な声を思い出す。
 もうあんな悲しい声なんて聞きたくないよなぁ。
 まずは非礼を謝って、これからはできるだけ嫌味なんて言わないように努力しよう。
 それから。
 オレは、ゲームの中でのアールサス様の言葉を一生懸命に思い出す。アールサス様は本当に稀(まれ)に、婚約者の愚痴を言ってたはずだ。控えめにだけど。
 それを思い出して少しでも改善していく事ができれば、アールサス様が感じていた苦痛を僅かでも取り除いていけるかもしれない。
 そんな事を考えていたら、コンコン、と小さく扉がノックされて我に返る。
 その途端、ふる、と身体が震えた。気がついたら指先まですっかり冷えていて、オレはそれなりの時間、考え込んでいたみたいだった。
「……はい」
 返事をしたら、キイ……と小さく扉がきしんでまだ幼さが残るアールサス様が入ってきた。まだ目のふちと鼻の頭がほんのり赤い。ちょっとだけツキン、と胸が痛んだ。
「その……すまない、長い時間ひとりにさせて」
 まさかのアールサス様からの謝罪にオレはびっくりした。もしかしたら伯爵様から諭されたのかもしれない。
「いえ、集中できたので問題ありません。お心遣いありがとうございます」
「……!」
 オレの答えにアールサス様がびっくりしたように目を見開く。淡いピンク色の瞳がとても綺麗だった。まずはオレの方から非礼を詫びようと思ってたのに先を越されてしまったけれど、ちゃんとごめんなさいだけはしなければ。
「私の方こそ、先ほどは失礼な物言いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
 深々と頭を下げる。顔を上げてみたらアールサス様はさらにびっくりした顔をしていたけれど、オレの謝罪の気持ちは分かってくれたみたいでホッとした。
 そこで、早速考えていた台詞(せりふ)を言ってみる。
「あの、アールサス様の貴重なお時間をいただくのは申し訳ないので、もうお部屋にお戻りください。私は本があれば時間が潰せますので」
 アールサス様の不満の大部分は、ウルクの慇懃無礼な態度と巨額の借金、あとはウルクの相手をしなければならないが故に錬金術に使える時間が減ることだった。
 お母様を病で亡くしたばかりで、かつその莫大な薬代がもとで多額の借金を負う事になったアールサス様は、自身の錬金術のスキルが足りなかったばかりにお母様を救えなかったと、その事をものすごく気に病んでいた。
 この時期のアールサス様は、本当に寝る時間も食事の時間も惜しいくらいに、錬金術に没頭したかったんだと、今のオレは知ってるから。
 でも、アールサス様は急に困ったようなそぶりを見せた。
「え? ……いや、そんなわけには」
 可愛い。
 さっきまでは憎らしく思ってたのに、この戸惑うような顔が幼さも相(あい)俟(ま)って愛らしく感じてしまうんだから、あの記憶がもたらす効果は絶大だと思う。
「……アールサス様は錬金術師を志しているのだと父に聞いております。無為な時間は研究に充てた方がよほど有意義ですので」
「無為な時間……」
 アールサス様が、僅かに眉根を寄せた。
 今までの癖で、ちょっと棘(とげ)のある言い方をしてしまったみたいだ。オレはもっと、言葉選びに気をつけた方がいいのかもしれない。
「あの、アールサス様が婚約者の義務としてこうして時間を割いてくださるのはありがたいのですが、その時間で薬のひとつでも錬金していただいた方がよほど技術の進歩につながって有意義ですし、私の事はお気になさらず」
 お貴族様に「オレ」なんて言っていいのか分からなくて、アールサス様の前では自分の事は『私』呼びしてたから、これまで通りちゃんと猫をかぶる。
 もしかしたら慣れない敬語だの難しめの言葉だのを選んで使うのに緊張して、棘のある言い回しになってた部分も多少はあるのかもな……って、あのゲームの中のウルクの立場になって初めて理解した。
「……」
「妙案だと思ったのですが、何か不都合な点があるでしょうか」
「……客人をほったらかしておけるわけがないだろう」
「ここには山ほど本がありますし、充分楽しいのでお気遣いなく。見送りも不要です。時間がくれば勝手に帰りますよ」
 にこやかに言ったつもりなのに、ますます眉間の皺(しわ)が深くなった。
「父上に叱責を受ける」
「それは、確かにそうかも……。では帰る際にはお声がけ致します」
「そんなに僕と一緒にいるのが嫌なのか」
「まさか! 錬金術は繊細で集中力が必要だと聞いた事があるので、他人が周囲にいない方がいいんじゃないかと思っただけで」
 泣くほどオレと一緒にいるのが嫌なのはアールサス様の方でしょう、と言いたい気持ちをぐっと堪(こら)えて、当たり障りのない言葉でとっさにごまかした。
 正直前世の記憶らしきものに晒(さら)される前は一緒にいるのも嫌だったけど、今は違う。
 ゲームの中でアールサス様に会いに行く時の跳ねるような浮き立った気持ちや、綺麗だなぁ……なんて見(み)蕩(と)れる感情を思い出してしまった今では、この美麗さと可愛らしさが共存するお顔を見ているだけでちょっと心拍数が上がってしまうくらいだ。
 オレの推し、マジで尊い。
 ただ悲しい事に、話すごとにアールサス様の好感度を下げてる気がするから、むしろ無言で、遠目で眺めるくらいがちょうどいい。
「人に見られたくらいで気が散ったりはしない。錬金術をやっていてもいいなら、僕の部屋に来るといい」
「え……」
「なんだ、その顔は。嫌なのか?」
「い、いえ! 行きます」
 なんと。思いがけず自室にお呼ばれする流れになってしまった。こんなの、これまでの訪問時にはなかった事だ。
 アールサス様にとってはオレの顔なんて見るだけで腹立たしいだろうから、少しでもその時間を減らしてやろうというオレなりの気遣いだったのに、逆にテリトリーに侵入する羽目になってしまった。
「行こう」
「あっ、ちょっと待ってください。本をいくつか借りてもいいですか?」
「もちろん構わないよ」
 あ、と思った。
 この言い方。この表情。見た事がある。
 ゲームの序盤から中盤まで、しょっちゅう聞く事ができる定番のセリフだった。
 なんだか懐かしくて気持ちが弾む。
「すぐ取ってきます!」
 待たせないように走って書架から本を取り出す。
 読もうと思っていた本を何冊か重ねて腕いっぱいに持って行ったら、アールサス様が小首を傾(かし)げたあと、オレの方に腕を伸ばしてきた。
「少し持つ」
「とんでもない! ちゃんと自分で持てる分しか選んでないので大丈夫です」
 サッと躱(かわ)したらちょっとだけ手が触れてしまった。アールサス様の眉間の皺が更に深くなったのを見て申し訳なくなる。
「あ、申し訳ありません……」
「違う!」
 アールサス様が急にオレの腕を触って、次にほっぺたを触る。
 オレよりは大きい温かな手のひらがほっぺたを覆って、あまりの事にオレは言葉も出せずにアールサス様を見上げる事しかできなかった。
 さっきまではちょっと可愛いなんて思ってたのに、こうして見上げていると格好良くも思えてついつい見(み)惚(と)れてしまう。
「冷え切っているじゃないか!」
 アールサス様が青い顔でそう叫んで、オレの腕から本を奪い取る。本の束を小脇に抱え、もう片方の手でオレの手を引っ掴(つか)んでグイグイと引っ張って書庫から連れ出してしまった。
 そのままアールサス様の部屋へと連行され、柔らかな毛布で包まれてアールサス様が手ずから淹(い)れてくれた温かいお茶を飲まされる。
「少しは温まったか? ……ああ良かった、頬に赤みがさしてきた」
 オレの顔を覗(のぞ)き込んでちょっと安心した顔をしたアールサス様は、オレの頬や手を触って温かさを確かめている。
 アールサス様、意外と力持ちだったな。それに優しい。
 こんなに優しいアールサス様は、この邸に通うようになって初めてだった。
 ああ、でも本当はそういう人だったかもしれない。
 ゲームの中でのアールサス様との出会いは、無茶をしてケガを負った主人公にお手製のポーションを分けてくれて、無茶をしないように色々と助言をしてくれたのが始まりだった。
 そうだ、元々アールサス様はとても優しい人なんだ。
 ウルクへの態度が悪かったのは、突然放り込まれた理不尽な状況への反抗心ゆえだったのかもしれない。そしてそれは、オレ自身にも言える事だったと思う。
 オレが態度を軟化させたら、こうしてアールサス様もこっちを労ってくれる。
 それが分かったのは、オレにとって大きな収穫だった。
 心配そうな顔、ホッとした顔、驚いた顔。アールサス様の色々な表情を見る事ができて、それも新鮮で嬉しかった。
 もしかして、オレが変わればアールサス様もオレを毛嫌いしなくなるのかな。
 もしかして、アールサス様と伯爵様が背負った借金が軽くなれば、そもそもアールサス様がオレとの望まない婚約を継続しなくてよくなるのかもしれない。
 もし婚約を続けていくしかないのなら、せっかくなら少しでも仲良くしたいし、時には笑った顔だって見てみたい。
 逆に関係を良好にするのが難しいなら、せめて婚約からは自由にしてあげたい。
 だって、アールサス様にはあのゲームの主人公と幸せになれる未来だってあるかもしれないんだから。そう思った。
 まぁ、もちろんできれば、せっかく婚約してるんだし、アールサス様と仲良くなれればそれが一番いいんだけどさ。
 その日は客人であるオレの身体が冷え切っている事を心配したアールサス様が色々と気を遣ってくれている間に時間切れになってしまって、結局アールサス様は錬金術に使えるような時間はなくなってしまった。
 申し訳ないな、と思いながらアールサス様の邸を後にしたオレは、一度お父様とじっくり話してみようと決意する。きっと何か突破口が開けるはずだから。

   ***

「エルトライク伯の借金の額? お前はまた、えげつない事を真顔で聞くなぁ」
 がっはっは、とマンガみたいな笑い方をしながらオレの頭をぐりぐりと撫でてくる偉丈夫が、オレの父親であるデューク・ボルド(三十四)だ。
 オレとおんなじ真っ赤な髪と、商人らしからぬ鍛え上げた筋肉がトレードマークの凄腕商人である。
「まぁ増えたり減ったりするからなんとも言えんが、現時点ではこの邸が五軒建つくらいはあるかねぇ」
「この邸が五軒!? え、増える事もあるの?」
「そりゃまぁ、領地が不作になれば借金は増えるし、なにか事業に手を出して大損を出せば跳ね上がるだろ」
「それ、返せるレベルなの……?」
 絶望した。オレがどんなに頑張ったって返せる額じゃなくない???
「商才があれば返せない額じゃねぇが、あの人は人が良すぎるからなぁ」
 そう言ってお父様は苦笑する。
「奥さんの病に効くって聞きゃあとんでもねぇ額だろうが怪しかろうが買いあさってたし、ぼられまくってた上に領地にめぼしい特産品もないときた。今はオレが破格の金利で貸してるし変な事にならんように目を光らせてるが、完済はなかなか難しいだろうなぁ」
「……マジか」
 オレはがっくりと肩を落とした。
 アールサス様のお父様……! 何やってんの……!
「なんでそんな人にお金貸してるんだよ……!」
 思わず出た恨み言に、お父様はだらしない笑顔でこう言った。
「いやぁ、オレも噂(うわさ)で聞いてた時にはとんでもねぇなと思ったけどさ、借金を家財で払ってもらうから査定してくれって商売仲間から言われて行った伯爵邸で、恋に落ちたわけよ」
「へ……? 誰に? まさか、伯爵様じゃないよね?」
「伯爵様に決まってるだろ。じゃなきゃ借金の肩代わりなんかするかよ。奥様を亡くされたばかりで憔(しょう)悴(すい)された姿がなんとも儚(はかな)げでなぁ。こう、守ってやりたくなるっつうか」
「……」
 お父様も、うちのお母様が亡くなってからそういう浮いた話なかったもんね……。でもそういう事、息子にこうも堂々とカミングアウトするかな、普通。
「いいところもあるんだぞ? 領民にも優しくて慕われてる領主様だし、ぼられることはあっても他者を陥れようなんて考えた事もない、貴族にしては珍しくとても清廉な方だ。そういう意味では尊敬できる伯爵様でな」
 あ、フォローし始めた。
「そういうのいいから。で、伯爵様に惚れたお父様は莫大な借金を負担してあげたわけだ」
「まぁ莫大だが、オレにとっちゃあ痛手になるほどの額じゃなかったしな」
 うわぁ。どれだけ個人資産があるんだよ……。
「なんでそれでオレとアールサス様が婚約する事になっちゃったわけ?」
「そんな巨額の融資、理由がないとできないだろ。アールサス様は錬金術の才能があるようだし、将来的には儲(もう)けさせてもらえるかもしれないしな」
 なるほど、婚約自体は不自然な融資を周囲に納得させるためには必要な手段だったんだ、とそこまでは理解した。伯爵様のアールサス様への話し方から考えても相当逼(ひっ)迫(ぱく)してたんだろうし、アールサス様だって領民のためにも破産は避けたいところだろう。
 そこはしばらくの間、我慢してもらうしかないと思う。
「婚約自体は仕方ないとしても、それならこんなに頻繁にアールサス様と会う必要なくない?」
「それは、母君を亡くされてアールサス様が塞ぎ込んでしまってるって聞いてなぁ。可哀相だろう。ムリにでも人と話す時間を設けた方がいいんじゃないかって話になって。オレも日が合えば一緒に行けば伯爵様に会えるかもしれないしな」
 頭お花畑かよ。
「サイテー」
 地を這(は)うような声が出た。
「お父様の恋路に、オレ達子供を巻き込まないでくれる? この婚約でオレとアールサス様がどれだけ傷ついたと思ってんの?」
「え、ご、ごめん。傷つけようと思ったわけじゃないんだが」
「そういう意味なら人選サイアクだよ。そんなの知らないから、オレめっちゃ態度悪かった。アールサス様との関係サイアクなんだよ。多分一緒にいればいるほど関係性悪くなると思う」
「ええ!? そんな事になってんの?」
 お父様が驚いたみたいに言う。オレだって悲しいけど、それが事実だ。アールサス様に言っちゃった数々の言葉は取り消せないし、もうめちゃくちゃ悪い印象はついちゃってる。あとはどれだけ挽(ばん)回(かい)できるかってくらいで。
「当たり前でしょ。そりゃ男同士の結婚だって普通に許されてはいるけどさぁ、少数派っちゃ少数派だし。オレだって可愛い女の子といつか恋に落ちるんだろうなって思ってたんだよ。それがさ、この多感な時期に突然男同士で婚約者になれって言われてみてよ」
 ちょっと考え込んだお父様は、しばらくして困ったような顔をした。ほら見ろ。
「想像力なさすぎ」
「ごめん……」
「でも、どうせ今すぐ婚約破棄するわけには行かないんでしょ。それこそ信用に関わる」
「お前……大人だな」
 ギク、としたけどあえて全力でなんでもない顔をした。
「子供だってそれくらい分かるよ。事情は分かったから、アールサス様への態度はオレも気をつける。お父様の伯爵様への気持ちについてはアールサス様には内緒にしといてあげるよ。アールサス様だって多感な時期なんだから」
「ウルク……!」
 別にお父様のためじゃない。アールサス様にこんな事知られたら、今以上に嫌われてしまいそうだからだ。
「その代わり、お父様も色々条件を呑んでよね」
「ほう、条件」
 お父様が身を乗り出して興味深そうな顔をした。
「ぶっちゃけさ、婚約を解消してもいいタイミングっていつなの? さすがに半年……は無理だよね?」
「伯爵の借金が完済できるような奇跡がおこれば別だが、さすがにそれはムリだろうからな。せめてあと一年は欲しい」
「じゃああと一年で婚約は解消して欲しいし、ちゃんと伯爵やアールサス様にも現時点でそう説明して欲しい」
 つまりオレ達の婚約は絶対に解消できないような恐ろしいモノじゃなかったわけだ。それなのに、あんなに苦しんでいたアールサス様が不(ふ)憫(びん)でならない。お父様にはそれ相応の代償を払ってもらいたいものだ。
 けれど、まだ婚約が決まってから三ヶ月だ。正式な婚約解消には時間がかかるかもしれないけど、精神的にはアールサス様を早めに解放できると知って安心した。
「分かった、きちんと説明させてもらう」
 お父様が神妙な顔で頷(うなず)いてくれたのを見て、オレは心底安心した。
「ウルクも先週十五歳になったしな。十六歳の誕生日の頃には解消できるように頑張るよ」
「ありがとう、お父様!」
 ちょうどあと一年くらい、しかも会うのはたったの数回だ。それくらいならアールサス様だってきっと我慢できる。
「あと、アールサス様は今は本当に錬金に集中したい時期だと思うんだ。だから、お邸への訪問は最低限にして、その時間を錬金に充てられるようにしたくて」
「なるほど。お前なりにアールサス様の事を考えた結果なんだな」
 コク、と頷くとお父様が嬉しそうに微笑んでくれた。
「急に回数が激変するのもいらぬ憶測を生むから、あと三ヶ月ほどは月に一度、それ以後は三ヶ月に一度くらいの頻度に落としていくようにしよう。伯爵にはオレから話を通す」
 良かった。これでアールサス様も少しは安心できるかもしれない。
「ありがと。あと最後に……アールサス様が望めばだけど、アールサス様が錬金で作ったものってお父様のお店で売れないかな。そうしたら、アールサス様もお小遣いができるし、錬金の素材も手に入りやすくなると思うんだ」
 アールサス様のお邸の書庫で、一生懸命に考えた事を全部言えてホッとした。
 まだ十五歳で権力も何もないオレができる事なんて限られてる。アールサス様に幸せになって欲しいと思っても、結局はお父様にこうしてお願いする事しかできないんだ。
 悔しさも混じった気持ちでお父様を見上げたら、なぜか面白そうに笑っていた。
「関係サイアクって言う割に、随分アールサス様に入れ込んでるなぁ。さては惚れたか?」
「お父様と一緒にしないでよ。オレは、申し訳なかったなって思っただけ。お父様もちゃんと反省してよね」
「分かった。お前達の気持ちを無視して勝手に話を進めて悪かった。詫びのしるしに今の条件は呑もう。アールサス様にもちゃんと話した方がいいだろうな」
「ありがとう。その方が、話は分かってもらえると思う……」
「ごめんな」
 お父様は豪快で、今回の婚約のように時々よかれと思ってとんでもない事をしでかしてくれるけど、本当に悪かったと思ったらちゃんと謝ってもくれるし改善もしてくれる。
 母を早くに亡くして不憫だと思ってるんだろう、オレにもすごく優しいんだ。
「なぁウルク、アールサス様の錬金の成果物、お前が売ってみるか?」
「えっ!?」
「お前ももう十五歳だ。今なら商業ギルドにも登録できるからな。アールサス様もお前も学園があるんだ、そんなに数も作れないだろうから休日だけ店を貸してもいいし、やりようはいくらでもある。商売の基本は教えるが、いくらアールサス様に還元するかもお前次第だぞ」
「……!」
 そう言われて初めて、自分が販売すればいいのか、と気がついた。
 いや、素材をオレが手に入れてくれば、素材を買う金もだいぶ節約できる。いい素材やレア素材を手に入れられれば、アールサス様がいつかは作り出したいと思っている、病の特効薬も作れるようになるのかもしれない。
 ゲームをやっていた時に感じていたやりがいを、オレは急速に思い出していた。
 草原で、森で、沢山の魔物を狩って、報奨金や素材を売ってはレベルを上げていく。あの頃のめり込んでいたあのルーティンが、アールサス様の役に立つなら一石二鳥だ。
 婚約者ではなくなっても、アールサス様の良きビジネスパートナーになれたらいい。いや、それくらい距離がある方が、アールサス様の嬉しそうな顔を自然に拝めるかもしれないよね。
「お父様、たしか冒険者ギルドにももう入れるよね」
「おう、オレも十五歳の時に冒険者ギルドに登録したんだ。お前もやってみるか?」
 コク、と力強く頷いた。
「やってみろ。オレの子だ、いつかはそういう事を言い出すかもしれねぇと思って剣術だって習わせたんだ。好きなようにやってみりゃぁいい」
 ゲームの中で、冒険者ギルドには通い慣れてる。
 本当に戦った事はないけど、剣術や初歩の魔法は一応習ってる。やってみるだけやってみたっていいかもしれない。新しい可能性に、オレは目の前が急に開けたような感覚だった。
「おっしゃ、思い立ったが吉日だ。今日のうちに諸(もろ)々(もろ)話は通しといてやる。明日、学園から戻ったらワートに声をかけてくれ」

 翌日、学園から帰ったオレはお父様の言いつけ通りに執事のワート爺(じい)に声をかけた。
「話は聞いておりますよ。こちらへ」
 ニコニコと優しく笑ってワート爺が案内してくれたエントランス横の小さな談話室に向かうと、そこにはオレより二、三歳は年上だろう快活そうなお兄さんがいた。
「おっ! やっぱ真っ赤な髪だなぁ。こりゃあ目立ちそうだ」

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