書籍詳細

身代わり呪術師は、光の騎士に溺愛される

入野沙織/著
都みめこ/イラスト

定価 : 1,320円(税込)
発売日 : 2023/11/10

内容紹介

お前にもっと触れたいと思っていた

呪術師ノアは、「人気者の騎士ラインハルトを呪おうとして失敗し、呪い返しにあった」という噂により、孤立を深めていた。しかし本当は、ラインハルトに向けられた呪いを咄嗟に受けたため、自らの左腕が呪われ痛みに苦しむ日々を過ごしていたのだ。このことをラインハルトに知られてしまうと、彼が四年前の「真実」に気づいてしまうかもしれない。ノアは懸命に隠していたのに、「俺はどうあっても、お前に惹かれずにはいられない運命らしいな」熱い想いに押し倒され挿入されてしまい――。一途な光の騎士と身代わりになった呪術師の溺愛ラブ!

人物紹介

ノア

嫌われ者の呪術師。四年前の事件の影響で、左腕が呪われている。

ラインハルト

人気者の騎士。四年前の事件をきっかけに、ノアと距離を取っている。

立ち読み

 
 1
 
『ねえ、君も訓練兵なんだろ?』
 声をかけてきたのは、銀髪の少年だった。
 明るい笑顔で、同期の中でも目立っていた存在だ。
 彼にあれこれと話しかけられて、ノアは応じる。途中で年齢の話になると、少年はぱっと笑顔になった。
『じゃあ、俺と同い年だ! ノアって言ったっけ』
 と、無邪気な様子で手をさしのべてくる。
『これから共にがんばろう。よろしくな』
 それは温度の高い笑い方だった。握った掌からも、じわじわと熱が伝(でん)播(ぱ)してくるかのようだった。
 それからも、彼はノアに優しかった。
 ノアと顔を合わせる度に、温かな笑みを向けてくれた。人から遠巻きにされることの方が多かったノアにとって、そんな人は彼が初めてだった。
 ラインハルト。
 互いが十八歳の時は、惜しみのない笑みを向けてくれた人。

 しかし、あれから四年が経った。二十二歳になった今では、二人の関係は変わってしまった。ラインハルトがノアに向ける態度は、
「ノア、お前……。呪術を使ったのか?」
 凍りつきそうなほどに冷たくなっていた。

 ◆

 ある日のこと、ノアは呪術で必要になる素材を買うため、街を歩いていた。
 素材を買う――そんな簡単なことがノアにとっては難題だ。素材は素材屋で普通に手に入るもので、金にも困っていない。
 ノアの場合は『お金を払っても、商品を売ってもらえない』ということが問題だった。
 ノアは嫌われ者だ。事実、彼が街を歩くだけで、周囲からは刺すような視線を向けられる。道行く人はノアから大きく距離をとろうとするし、子供を連れた者はノアを見ると、子を抱えて逃げていく。
『呪術師ノア』――その名は、街の住人たちの間では悪名高い。
 ノアは朝から街の素材屋を回っていたが、ある店では通常の数倍の値段をふっかけられ、ある店では怒鳴られて、入店すら拒否された。
 最後に訪れた店では、店主に体をじろじろと見られた挙句、「売ってやってもいいが、お代はそうだな……。俺の上で一晩、腰を振って払うのはどうだ?」と、下劣な提案をされる。
 ――ノアは街中から疎まれた存在ではあるが、その見目はある種の者たちからすれば好ましいものらしい。『呪われてもいいから一晩』と、酔狂な男たちから誘われることは幾度もあった。ノアは「またそのパターンか」と呆れ返る。
 表情を変えずに、じっと店主の顔を見つめる。ノアの双(そう)眸(ぼう)は赤色だ。顔立ちは整っているものの、表情は常に無表情。感情を映さない視線は怪しげで、よく「不気味」だと評される。
 店主もノアに静かに見つめられると、ぞっとしたように目を逸(そ)らす。「さっきのは冗談だ!」と言って、素材の売買の話に移った。
 ようやく目当てのものを買うことができた時には、夕刻になっていた。
 ノアは神殿に戻るべく、噴水広場を歩く。広場には、黄昏(たそがれ)色の陽ざしが降り注いでいる。
 その時――事故は起こった。
 噴水の近くを荷馬車が通り過ぎる。その馬に噴水の水がかかると、馬が興奮して暴れ出した。
 荷馬車が運んでいた建築用の角材が転がり落ちる。それは近くにいた女性へとなだれこんだ。
 ノアは冷めた赤眼にその様子を映す。同時に口内で呪文を唱え、呪術を発動させた。
 次の瞬間、地面から巨大な手が生えた。
 呪術《怨念の手》。黒い手が女性の前にそびえ立ち、角材を受けとめる。女性は一拍遅れて危機に気付いたらしく、その場に立ち尽くしている。ノアの出した『不気味な手』を、彼女は唖(あ)然(ぜん)として見つめた。
 そして、あられもない悲鳴が上がる。
「きゃー!」
 広場に注目が集まる。《怨念の手》を目にするや否や、悲鳴は連鎖した。
 確かに、巨大な手だけが地面から生えているというのは、かなり不気味な光景である。それもその手はどす黒い色をしていて、血管のようなものまで浮き出ているので見た目が怖い。……見慣れれば、それなりに愛着が出てくるのだが。
 ノアは黙って、呪術を解除する。《怨念の手》は消え去ったが、周囲の緊迫は消えてはくれない。
 女性が怯えた様子でノアを見る。後ずさろうとして、尻もちをついた。その拍子に光るものが手から零(こぼ)れ落ちる。それは石畳を転がって、ノアのつま先にぶつかった。
 ノアはそれを拾うと、
「これ……」
 彼女に渡そうとした。すると、
「ひ……ごめんなさいごめんなさい! お金なら払います、何でもします! だから、呪わないで!」
 ノアは無表情のまま足を止める。
 そこに野太い怒鳴り声が重なった。
「お前……今、うちの馬を呪っただろう!?」
 馬車の御者だ。彼は険しい顔でノアを睨(にら)んでいた。
 周囲にいた人たちがささやき出す。
「呪術師が呪ったら、馬が暴れ出して……」
「その次は、あの女性を呪おうとしていたわ」
 誰もが気味悪そうに、遠くからノアを見つめていた。ノアはその嫌悪の感情を冷静に受けとめる。
(……やってしまった)
 女性を助けるためにやむを得ずではあったが、ノアは呪術師の不文律を破っていた。
『呪術を街中でむやみに使ってはいけない』――呪術師の中ではそんな暗黙のルールがある。呪術は見た目が不気味なものが多く、偏見を受けやすい。そのため、多くの呪術師は人前で呪術を披露することを嫌うのだ。
『女性や馬を呪おうとした――』
 実際にノアは今、街の住人から誤解されてしまった。
 ノアが使った《怨念の手》は、《呪い》ではなく、呪霊を使役する《呪術》だ。しかし、第三者から見れば区別がつけられない。
《呪い》とは、呪術師が代償を捧げることで対象に制約を課すものだ。継続的に苦痛を与えたり、体の動きを支配したりできる。《呪い》は簡単に使えるものではなく、強力な呪いを行使するには、それ相応の代償が必要となる。一般的にはそのことが知られていないので、「呪術師が不気味な力を使ったら、それはとにかく呪いである」と、思われることが多かった。
 ノアは滅多に《呪い》を使わない。しかし、それを理解してくれる人はいない。いや、今はいないと言う方が正しいだろう。
(呪術師への認識はこっちの方が普通なんだ。むしろ、あいつがおかしかった)
 ノアは静かに考えていた。
 呪術を初めて目にすると、大抵の人は怖がる。しかし、一人だけ他とはちがう対応をとった男がいた。ノアが使った《怨念の手》を見て、「お、呪術師ってそういうこともできるのか? 便利そうだな!」と、笑顔で言った、奇特な人物が。
 その変わり者である銀髪の騎士を、ノアは頭の中で思い浮かべた。
 その途端、左胸に鋭い痛みが走る。
 昔は当たり前のように向けてくれていた笑顔なのに、今では失われてしまった。
 四年前、十八歳の時はノアに優しかった彼も、今では――。
「どうした? 何かあったのか?」
 突然、その声が広場に響く。暗闇から引っ張り上げてくれるような、爽やかで明るい声だ。その声を耳にしただけで、住人たちの様子は変わった。誰もが闇の中に光を見出(みいだ)したかのように、ホッとしてそちらを見る。
 現れたのは銀髪の青年だ。
 精(せい)悍(かん)さとたくましさを眩(まぶ)しくまとわせたような見た目をしている。鍛えられた体はいかにも武人然としているが、整った顔立ちと長身のおかげですらりとして見える。長い銀髪を後ろで一つにまとめ、涼しげな目元からは青空のような澄んだ碧(へき)眼(がん)が覗(のぞ)いている。
 身にまとうのは白を基調とした騎士服だ。マントをたなびかせるその出(い)で立ちには多くの女性が目を奪われることだろう。事実、広場にいたほとんどの女性は、ぽーっとなって彼を見つめていた。
「ラインハルトさん!」
 先ほどノアが助けた女性が、彼へと駆け寄る。
 その時、ラインハルトはノアに気付いた。途端に明るい面持ちは鳴りを潜(ひそ)める。複雑そうな表情で目を細めると、
「ノア、お前……」
 声音もがらりと変わったものになる。冷たい声が刺すように告げた。
「この騒ぎは、何があったんだ」
 ラインハルトの態度に、ノアの左腕はじくりと痛む。
 その痛みでイライラとして、余裕がなくなってしまう。左腕をもう片方の手で握って、ノアは答えた。
「お前には関係ないだろ」
 こちらも冷ややかな態度と声だ。
 ラインハルトは顔をしかめてノアを睨みつける。誰にでも優しい彼は、ノアにだけ厳しい態度をとるのだ。
 すると、先ほどの女性がラインハルトの背に隠れ、声を張り上げた。
「その人が、私に呪いをかけようとしたんです!」
 周囲の人たちは、すかさず彼女に同意する。
「私も見たよ」
「馬に呪いをかけてたんだ。その後は彼女に……」
「怖かった……」
 ラインハルトは鋭い視線をノアへと向ける。
「……呪術を使ったのか」
「うるさい」
 ノアは素っ気なく答える。
「僕に構うな。今度こそ、呪うよ」
 呪う。という言葉に、ラインハルトは顔をしかめる。
 周囲のざわめきは、より大きなものに変わった。
「やっぱりあの噂(うわさ)は本当だったんだ……」
「あいつが、昔、ラインハルトさんを呪ったっていう……」
「あんな不気味な人が『刻印の勇士』の一人だなんて、信じられない……」
 左腕の痛みはより強くなる。それに合わせて、ノアの態度は冷たく、頑(かたく)なになってしまう。腕にかけた指に、ぎゅっと力がこもった。
 ノアは否定も肯定もしなかった。しかし、普段から表情や態度が不気味だと思われているせいで、ジト目の沈黙にはある種の迫力があり、噂の真実性が増したらしい。住人たちは気味が悪そうに生唾を呑みこんだ。
 ラインハルトが何かを言いたそうにしていたことに構わず、ノアはその場を後にする。
(あ……)
 しばらく行ったところで、ノアは掌に視線を落とした。
(……返しそびれた)
 先ほどの女性の落とし物。それは指輪だった。騒ぎのせいで拾ったことを忘れていたのだ。
 ノアはわずかに目を細めるのだった。

 広場を後にしたノアは、街の中心部にある坂道を上っていた。視線の先、頂上部には白い建物が見えている。
 聖都ドラアウラでもっとも高い場所に構える、大きな建物だ。そこがノアの現在の居住地、『白き竜』を奉(たてまつ)る神殿である。
 神殿に戻る頃には、日はすっかり暮れていた。
 静(せい)謐(ひつ)とした回廊をノアは歩く。回廊の突き当たりには修道院が設置されていて、『刻印の勇士』たちはそこで共同生活を送っていた。
 回廊の横は中庭となっていて、平時は勇士たちが戦闘訓練のために使用している。しかし、今は閑散としていた。中庭だけでなく、神殿全体がどんよりとした空気に沈んでいる。
「おい、お前!」
 声をかけられて、ノアは立ち止まる。向かいからやって来たのは、赤髪の男だった。彼もまた、ノアと同じく『刻印の勇士』と呼ばれる立場だ。
 そのため、本来はノアの仲間であるはずなのだが、彼は憎悪をこめた目でノアを射抜いている。
「俺は先日、お前に『ここから出ていけ』と言ったはずだが?」
「聞いたよ」
 ただでさえ左腕が痛むのに、嫌なことを思い出して、ノアの態度は冷ややかになる。
「じゃあ、何でまだここにいる!」
 ノアは痛んでいる左腕をさりげなく背中側へと隠す。そして、それとは反対側の手――右手の甲を相手に見せた。
 ノアの右手には、白い紋章が浮かび上がっていた。竜を簡略化したような形だ。ここで暮らす『刻印の勇士』が身に宿しているのと同じ証である。
「刻印があるから。この刻印を刻まれた者は、ここで暮らすのが決まり」
「ふざけるな! よくもそんなことをぬけぬけと……!」
 赤髪の男は歯(は)噛(が)みすると、
「なぜ、お前みたいな奴に、『白き竜』様は加護をお与えになったのか!」
「知らない。そこ通して」
「お前のせいだぞ……! お前が呪ったせいで! 『竜の神子』様は元の世界に帰ってしまったんだ!」
「だから? …………何?」
 ずきずきとした痛みが左腕に走る。それに合わせて、ノアの声はぞっとするほど冷たいものになる。
 痛みを我慢しているノアは、面持ちも険しくなる。赤い瞳は半眼で、相手を睨むような目付きになっていた。
 ノアの顔立ち自体は美人だ。金髪赤眼、日にあたらないせいで青白い肌。華(きゃ)奢(しゃ)な輪郭。普通にしていれば『儚(はかな)げな美青年』として、周りから羨望を浴びることになるだろう。
 しかし、左腕の痛みのせいでノアは常に不機嫌だ。声に抑揚はなく、静謐な口ぶりで話す。その上、相手を睨んでいるかのような無表情――それらがノアの美貌を『薄気味悪い男』という評価に書き換えているのだった。
 赤髪の勇士は怖(おじ)気(け)づいた様子で後ずさる。すると、前方からやって来た別の勇士が話に割って入った。
「もうやめとけよ、ニルス。こいつに逆らったら呪われちまうぞ? ラインハルトの次は、神子様も……」
「くそ、くそ!」
 赤髪の男――ニルスは額に脂汗を浮かべて、ノアに道を譲る。
「この、気味悪(わり)ぃ疫病神が!」
 ノアは何も言わずに、彼らの脇を通り抜けた。
 前の神子を呪ったという話は誤解だ。でも、今さらそれを指摘するつもりはない。
 彼らには何を言っても無駄だからだ。
 誰も、自分の言うことなんて信じてはくれない。

『竜の神子』――それは異界より召喚され、『刻印の勇士』たちを束ねる存在だった。
 最近までこの神殿にも、「ニホン」という国から召喚された神子がいた。その神子が突然、元の世界に帰ってしまったのは三日前のことだった。それ以降、刻印の勇士たちは荒れている。
 神子の男が異界に帰る間際に、こう口走っていたからだ。「ノアに呪いをかけられそうになった!」と。
 それは半分は嘘で、半分は真実だった。
 確かにノアは彼に呪術を使った。しかし、使用したのは《怨念の手》であって、《呪い》ではなかったし、使わざるを得ない状況にあっただけだ。
 神子の男は夜中に突然、ノアの部屋に押し入ってきた。
 そして、「美少女のいない異世界転移とか、マジ意味ない! クーデレジト目美少女を性奴隷にする異世界転移がしたかった! もうこの際、男でもいい!」と、わけのわからないことを口走りながら、ノアのことを押し倒してきた。だから、ノアは咄(とっ)嗟(さ)に《怨念の手》をくり出して、彼を引きはがしたのだ。
 すると、神子は他の勇士たちに「俺は何もしていないのに、ノアが呪いをかけてきた!」と吹聴し、司祭に頼みこみ、元の世界に帰ってしまったのである。
 その話を信じた勇士たちにノアは散々、責められた。
『お前のせいで、神子様が帰った!』
 ノアも初めは言われっぱなしではいなかったし、きちんと真実を伝えようとした。しかし、誰もノアの話を聞いてくれない。
『ラインハルトの次は、神子様のことを……』
 誰かがそう言ったので、ノアは言葉に詰まった。四年前の事件のことを引き合いに出されると、何も言えなくなってしまう。
 ノアは無言で視線を漂わせた。
 その時、『どうした? 何かあったのか』と、明るい声が響いた。ノアが一番聞きたくないと思っていた声だ。
 ノアが振り返ると、ラインハルトと目が合った。すると彼はハッとして、複雑そうな表情で目をそむける。
 ずきん! と、一際強い痛みがノアの左腕を襲う。
 ノアは弁解することを諦めて、その場を後にした。
 それ以降、「神子が元の世界に帰ったのは、ノアが呪いをかけたせい」という噂が蔓(まん)延(えん)するようになったのだ。

 神殿の奥は修道院となっている。勇士たちにはそれぞれの個室が与えられ、普段はそこで寝泊まりしていた。
 ノアは自分の部屋へと戻ると、ベッドに腰かける。
 悪い噂が広がってしまったのは、自分の態度のせいもあるということはわかっている。相手を睨みつけるような眼差しも、抑揚のない話し方も、人に不快感を与えるのだろう。
 しかし、それがわかっていても、ノアには改善のしようがなかった。
(…………痛い)
 左腕を抱えるようにして、ノアは体を丸める。
 ノアが街中から嫌われている理由――それはこの左腕のせいだった。
 ノアの左腕は呪われている。肌が黒く変色しているので、指先から肘までを覆うサポーターをつけていた。
『呪術師ノアの左腕は呪われている』ということは、周知の事実だった。
 四年前のことは街中で噂になっている。ノアがラインハルトを呪おうとして、失敗して、呪い返しにあった、という事件だ。その話を聞いた誰もが、ノアの自業自得だと蔑(さげす)んだ。そして、人気者であるラインハルトを呪おうとした異常人物として、ノアを嫌悪するようになったのだ。
 四年前の事件以降、ノアはラインハルトにも嫌われて、距離をとられるようになっていた。
 ――と、ここまでの話は誰もが知っていることだ。だが、街の人々はノアにかけられた呪いが、ノアにどんな作用をもたらしているのかということを知らなかった。他の勇士も、ラインハルトも、知らないことだ。
 呪われているノアの左腕は、常時、痛みを伴っている。何をしている時も、ずきずきと刺すような痛みが襲ってくるのだ。
 ノアはその痛みのことを、そのせいで苦しんでいるのだということを周りに隠していた。もしラインハルトにそのことが知られてしまったら、四年前の真実に気付かれてしまうかもしれない。だから、痛みのことを気取られないように、常に表情を押し殺すようにしている。
 時折、痛みのせいで余裕がなくなって、相手を睨みつけるような眼差しになったり、刺(とげ)々(とげ)しい態度をとったりしてしまうことがある。そのせいで、『無表情で不気味な男だ。その上、口を開けば嫌なことを言うし、睨みつけてくる』と、更に他者から嫌悪を抱かれる。
 自室にこもって人目がなくなると、ノアは初めて表情を崩した。今も痛んでいる左腕をぎゅっと抱えこむ。泣きそうなほどに表情を歪(ゆが)めて、下を向いた。
 ――その時。
 隣の空間で闇が蠢(うごめ)く。その中から何かがぼとりと落ちてきて、ノアの隣に座った。
 現れたのは動物の人形だ。長い耳は垂れていて、〝ウサギ〟に近い形状をしている。可愛いというより、みすぼらしいという表現がしっくりくるぬいぐるみだ。全身はつぎはぎだらけで薄汚れている。目のボタンはとれかかっていて、ほつれた糸が飛び出していた。
 不気味な雰囲気のぬいぐるみ――それはノアが呪術で作った、《呪いの人形》だ。名前は「フロップくん」。特に理由はないが、呼びかける時は「くん」までを含めるのが通例だ。
 フロップくんは短い手足ですっくと立ち上がると、ノアを静かに見上げた。
「お前……また勝手に出てきて」
 ノアが呆れると、フロップくんは幼女のような甲高い声で応える。
『…………イタ、イ……』
 抑揚のない不気味な声音だ。
『イタイ…………。イタイ、イタイ…………イタイイタイイタイ』
 そんな声で、ひたすらに同じ文言をくり返している。
 事情を知らない者が見れば、不気味な存在そのものだ。薄気味悪い風体のぬいぐるみが、片言でおどろおどろしい言葉をくり返しているのだ。夜中に出会ったら、大人でもぞっとするだろう。
 実際、必要にかられて、街中でフロップくんを出したことがあるのだが、その時も住人からは悲鳴が上がっていた。
 ノアは口元に小さく笑みを乗せる。優しげな眼差しを、フロップくんへと向けた。
 フロップくんはノアにとって、魔術師が使役する『使い魔』のような存在だ。だから、彼の言いたいことがノアにはわかる。フロップくんはノアのことを心配しているだけなのだ。
「痛い?」と。
 自分を慮(おもんばか)ってくれているのだと認識できれば、《呪いの人形》も可愛らしく見えてくる。
 ノアは無表情から一転して、優しげにほほ笑むと、
「平気。……痛くないよ」
 フロップくんの頭をぽんぽんと叩いた。
 すると、フロップくんは頷(うなず)く。頭が大きいので、かくんといった動きになった。そのぎこちない頷き方は、あどけなさを感じてどこか可愛らしい。
 ノアは人前では決して見せない穏やかな笑みを、自身の使い魔に向けた。


 前任神子が神殿を去ってから、数日後――。
 新たな神子が、異界より招かれることが決まった。
 刻印の勇士たちは、儀式の間に集められていた。現在、この神殿に務める勇士は二十名ほど。その全員が儀式の間にそろっていた。
 ノアは他の勇士たちから避けられているため、周りに空間ができている。
 勇士たちの中には、ラインハルトの姿もある。彼もノアからは距離をとったところで佇(たたず)んでいた。ノアと目が合うと、ラインハルトは険しい表情で視線を逸らした。
 司祭が召喚の儀式を始める。
 祈りを『白き竜』へと捧げると、魔術陣に光が灯った。異界から神子を呼び出しているのは『白き竜』で、どうやっているのかノアにも原理はわからないが、『神子』として素質の高い者を選び、この世界へ召喚するのだという。
 儀式は成功した。
 光が一際強く輝いた直後――その中心部には一人の男が立っていた。
「新たな神子様が現れたぞ!」
 新しい神子の登場に、その場はわっと盛り上がる。
 皆の視線が彼へと集中すると――誰もが目を丸くした。
 現れたのは、黒髪黒目の平凡な顔立ちをした少年だった。年齢は十代後半といったところか。顔の彫りは浅いが、目は爛(らん)々(らん)と輝き、明るい表情をしている。前任神子よりも愛嬌のある雰囲気の男だった。
 勇士たちが驚いたのは、彼の格好だ。
 彼は首元にタオルをかけていて、そのタオルには何かが描かれている。異国語のためノアには識別できないが、ハートマークのようなものがついていた。着ている白シャツには、やたらと目が大きく胸も大きい女性の姿が描かれている。
 そして、彼は手にうちわを持っていた。これまた同じ姿の女性が描かれている。
「ワッ、ツ……!? ここ、どこだ? ライブ会場は? 俺の、りるるたんはどこに消えたんだ?」
 少年は目を白黒させて、辺りを見渡している。
 そんな彼の前で、司祭は恭しく膝をついた。
「あなた様は『竜の神子』として、召喚されました。ここにいる『刻印の勇士』たちを束ね、『黒き竜』を倒していただきたいのです」
「ん? あー、もしかして、これって異世界召喚ってやつか?」
 少年は勇士たちを見渡す。ノアとも目が合ったが、ノアは静かに彼から視線を逸らした。
「これまた国宝級のイケメンどもが勢ぞろいで……。それで、んっと」
 少年は自分のことを指さす。
「俺が、神子?」
「竜の神子様です。右手の刻印をご確認ください。白き竜様の紋章が刻まれております」
 少年の右手の甲には、ノアたちと同じように竜の紋章が浮かび上がっていた。
「おお、ほんとだ。で、こいつらは?」
「『刻印の勇士』です。『白き竜』様のご加護を授かった者たちです。神子であるあなた様は、彼らの力を高める能力を持っています」
「んー、待って待って。まずは世界観の解説からお願いするわ」
 司祭は順を追って説明する。
 世界を創造したのは、二柱の竜神だった。それが『黒き竜』と『白き竜』だ。
『黒き竜』は世界を創ったのは誤りだったとして、世界を滅ぼそうとしており、各地に『黒き竜の眷(けん)属(ぞく)』と呼ばれるモンスターを出現させ、人々に危害を加えるようになった。
 一方、『白き竜』は、世界はまだ存続するべきという思想の下、『黒き竜』に対抗するため、人間に力を与えた。
『白き竜』に選ばれた者は、体に『竜の刻印』を宿し、不思議な力を得ることができる。それが『刻印の勇士』と呼ばれる者たちだ。そして、『刻印の勇士』の力を引き出すには、異界より召喚された『竜の神子』の力が必要となる。それが今しがた召喚された黒髪の少年というわけだ。
 歴代の神子は、『異世界召喚』というものに何らかの知見を持つ者が多かった。おそらくそういう素質がある人間を『白き竜』が選んでいるのだろう。
 今回の少年も同様で、妙に冷静だった。
「ははーん。なるほどなあ。だいたいの設定は理解したぞ。見たところ、キャラクターが男ばっかりだな。ってことは、ここは女性向けゲームの世界? そんで、キャラクター人数がやけに多いとなると、コンシューマーゲームよりは、キャラガチャありきのスマホゲー寄りかー?」
「今代の神子様は、異国語が多いのですね。言語に関しては『白き竜』様の力により、互いに翻訳され、話せるようになるはずなのですが……」
「あ、悪い。もしかして、オタク用語はうまく翻訳できずに、そのままになってるとか? あっはっは! 俺、オタクだからなあ」
「なるほど! 神子様は『オタク』国というところからいらしたのですね!」
「ん? まー、そんなとこだ。あ、俺は相(あい)澤(ざわ)玲(れい)人(と)! よろしくな! イケメン勇士ども!」
 玲人の言っている言葉が、ノアには半分も理解できなかった。知らない言葉ばかりを使う、不思議な男だ。
 それは他の勇士たちも同じようで、皆、怪(け)訝(げん)な顔をしている。しかし、玲人の浮かべる笑みは人懐こくて、親しみやすいものだった。前の神子は偏屈な男だったので、その点は安心できそうだと、周りはホッとしている。
 玲人は勇士に向かって、順にあいさつをしていく。どうやら人見知りをしないタイプらしく、昔からの友人のように親しげな笑顔を振りまいていた。
 その流れで勇士たちは一人ずつ自己紹介を始める。
「ラインハルトです。よろしくお願いいたします。神子様」
「玲人でいいよ。お前は正統派タイプの騎士って感じだなー。お前がSSRカードイベントの時は、TLが悲鳴であふれそうだ!」
「は、はい……?」
 ラインハルトは虚を衝(つ)かれたような顔をしている。
 ノアは『意味がわからない』と目を細めてから、背を向ける。何も言わずにその場を去ろうとした。
 すると、玲人は目ざとく気付いて、
「おおーい、待て待て、そこの影のあるイケメン! やっかいなファンがめちゃくちゃついてそうで、最レアカードに抜(ばっ)擢(てき)される度に、『神! 完(かん)凸(とつ)するまでお布施する……!』って崇(あが)められてそうな、そこの人ー!」
 意味のわからない呼ばれ方をしている。ノアは毒気を抜かれて、思わず立ち止まった。
 玲人を振り返ると、彼はハッとしてノアの顔を眺める。
「うおー! 顔がいいな……! すげー!」
「玲人様。あいつはノアといいます。呪術師で……」
 答えないノアの代わりに、ラインハルトが紹介をしている。
 ノアは顔をしかめた。ラインハルトが自分のことを何と紹介するのか。聞きたくないと思った。
「気を付けてくださいよ、神子様!」
 ラインハルトの言葉にかぶせて、声を張り上げたのはニルスだ。先日、ノアにつっかかってきた赤髪の男である。
 ニルスも根は悪い男ではないのだが、竜神への信仰が篤(あつ)いため、神子という存在を崇拝している。ノアのせいで前神子が追い出されたのだと思いこみ、ノアを人一倍敵視していた。
「あいつには注意してください! 呪われますよ!」
「ん? 呪うって?」
「あいつ、昔、ラインハルトに呪いをかけようとしたことがあるんです。前の神子様もあいつの呪いのせいで、ひどい目に……」
「…………ふーん?」
 玲人の反応を知りたくなかったノアは、足早にその部屋を後にする。

 だから、玲人が興味深そうに自分の姿を見ていた、ということには気付かなかった。

 ◆

 この世界を滅ぼさんとする『黒き竜』は、各地にモンスターを生み出して、人々を襲っている。
 そのモンスターと戦うのは、勇士と神子の使命だった。
 というわけで、今日も神子が率いる『刻印の勇士』たちが、モンスター討伐に挑むわけだが――。
「今回の敵は《レッドドラゴン》だ。タンク一名、ディーラー三名、ヒーラー一名の編成で行く」
 玲人が戦闘前に勇士を集めて、説明をする。
 だが、勇士たちは皆、怪訝な顔をしていた。
 それもそうだろう、とノアは思う。タンクとか、ディーラーとか、聞いたことのない言葉だ。
 玲人がこの世界に召喚されてから、数日が過ぎていた。彼が口にする言葉は、勇士たちにとって難解な用語ばかりだった。
 それらはどうやら「オタクヨウゴ」というものらしい。彼から聞きとった情報を整理するに、「オタク国」に所属する人間が使用する言語のようだった。
「ドラゴンのブレスは痛いからな。CC役としてノアは必須。スタンのタイミング間違えるなよ」
「嫌」
「そう言わずに! 後でアイスクリーム奢(おご)ってやるからさ」
「よくわからない。〝オタクヨウゴ〟で説明するのやめて」
「あ、悪い。まあ、雰囲気で察しろ!」
「嫌」
 ノアは冷ややかに答えて、そっぽを向く。
 玲人はめげずに他のメンバーに指示を飛ばしている。勇士たちは、「はあ」とか「ああ……」とか曖昧な答えを返した。皆、玲人の言葉が理解できないのだ。
 ――たった一人を除いて。
「で、タンク役はラインハルトだ」
「はい、玲人様。お任せください」
 ラインハルトが笑顔で答えた。
「『敵視』が俺に向くように『スキル』を打って立ちまわる、ですね」
「おー、そうそう。よく覚えてんな!」
 ラインハルトが口にした〝オタクヨウゴ〟に、玲人は嬉しそうに頷いている。
 初めはラインハルトも彼の言葉がちんぷんかんぷんだったようなのだが、一つずつメモをとって覚え、今では玲人と普通に会話ができるようになっていた。
 そう、ラインハルトは誠実で優しい男なのだ。
 ――ノア以外には。

続きは こちらからお楽しみください

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