書籍詳細

異世界召喚された先は獣人の通う魔法学園でした ~狼獣人のご主人様と使い魔のおれ~

秋山龍央/著
峰星ふる/イラスト

定価 : 1,320円(税込)
発売日 : 2023/07/14

内容紹介

好きだ。ずっと俺のそばにいてくれ

獣人の通う魔法学園に使い魔として召喚されたアキラ。自分を召喚した、一年生で同い年の狼獣人のカインと仲良くしようとするも、彼はなぜかずっと無愛想で……。それでも他の獣人から危険な目に遭うと守ってくれて、その優しい姿にアキラは惹かれていく。そんな中、魔力を持たないアキラはこの世界特有の病気に罹ってしまう。この症状を治すには、ご主人様であるカインとセックスしなきゃいけなくて!? カインは事務的で端的な行為をするんじゃないかと想像していたのに「あんなの見せられて、我慢できるかよ……ッ!」熱い想いで貫いてきて――。ツンデレ狼獣人とワケありニンゲンの異世界ラブ☆

人物紹介

アキラ

人間の学生。使い魔召喚儀式によって、カインの使い魔として召喚される。家庭の事情から、料理ができる。

カイン

狼獣人で、魔法学園の生徒。名門出身にもかかわらず、魔法が上手く使えない。ぶっきらぼうな態度には訳があって……。

立ち読み

    プロローグ

「げほっ、ごほっ! ごほっ、ごほっ……!」
 ――な、なんだ?
 一体、この煙はなんなんだ?
 何が起きたのかさっぱり分からない。
 おれは今日、学校から家に帰ってきて……で、そうしたら珍しく母さんが仕事から早めに帰ってきてたんだ。母さんは携帯電話で友人と話していたから、だからおれは、母さんの邪魔にならないようにリビングに入らないようにして……それでまた家から出ていって……ああ、そこからの記憶がさっぱりだ。
 あ。でも……そういえば、横断歩道の信号って、何色だったっけ?
「――なんなんだ、この煙は!?」
「――召喚に失敗したのか?」
「――いや、魔力の反応は微弱にだがある。成功はしたようだが……」
 あ、人の声だ。
 おれはちょっと肩の力を抜いた。
 もうもうと立ち込める煙に、何が起きたのかはさっぱり分からないが、雰囲気からして周りに人が大勢いるようだ。
 おれは尻もちをついていた床から立ち上がると、黒い学生服についたホコリを手で払った。
 だが、そこで自分の立っている場所に違和感を覚える。
 一体ここはどこなんだ? おれは家を出て、一人きりで夕暮れ時の街中を歩いていたはずだけれど……見た感じ、ここの地面は大理石に似た石材で造られているようだ。
 おかしいな。おれは外を歩いていたはずなのに、なぜ室内にいるんだろう?
 不思議に思ったものの、まぁ、この煙が晴れれば何が起きたか分かるだろうと顔を上げる。
 その時だった。おれが顔を上げたのと同じタイミングで、ぬっと白い煙の向こうから顔を突き出したものがいたのである。
「っ……!?」
 予想外の異様な姿に、おれは思わず再び尻もちをつきそうになる。
「……なっ……なっ……!?」
 ――そこにいたのは、端的に言えば狼だった。
 だが、よく動物園で見るような四足歩行の狼じゃない。
 まるで人間のように二本足で立って服やブーツを身につけ、そして手には小さな杖まで持っているのだ。
 上背はかなり大きく、一七〇センチはあるおれの身長をはるかに超している。
 もしかして、二メートル以上あるんじゃないか?
 月光のような銀色の毛並みと、冴(さ)え冴(ざ)えとしたアイスブルーの瞳は美しいが、まったく温かみを感じない。その二足歩行の狼は、まるで獲物を品定めするような冷徹な瞳で、おれをギロリと睨(にら)みつけた。
「……こんな貧弱なチビが俺の使い魔だと? しかも、なんだこいつは。一体何の種族だ?」
 しゃ、しゃべった!?
 しかも、言葉も通じるみたいだ。
 ……けれど手放しでは喜べそうにないな。なんか、話し方からしてめちゃくちゃ棘(とげ)を感じる。
 それに、なんだって?
 おれが――この二足歩行の狼男の“使い魔”?
 一体、何がどうなっているんだ……!?
「あの、いったい何の話を……」
「うぉっ!? しゃべった!?」
 おれが彼に声をかけると、狼男はびくりと肩を跳ねさせて、ずざざざざっと背後に下がっておれから距離をとった。
 そして距離をとったまま、警戒するようにおれを睨んでくる。
 ……どうやら、向こうもおれが言語を解するとは思っていなかったらしい。
 どうしたものかと固まっていると、周りに立ち込めていた白い煙がようやく晴れてきた。
 そして、周囲の全貌があらわになる。
 だが、そこでおれは再び、思ってもいなかった光景に口をあんぐりと開ける羽目になった。
「――おっ!? ようやく煙が晴れたぞ」
「アレがウルファリスの召喚した使い魔かぁ? ずいぶん貧相だなぁ」
「アハハハ! すっごく弱そうだし、めちゃくちゃチビじゃない! なんなのアレぇ?」
「ププッ……やめてあげたまえ。『ウルファリス家の出(で)涸(が)らし』が使い魔を召喚できただけでも褒めてあげねば」
「でも、見たことのない使い魔ねぇ……一体何の種族なのかしらぁ……」
 ――鳥、熊、猫、狐、パンダ、犬。
 そこにいたのは、目の前の狼男と同じように、服を着込んで二足歩行で立って会話をしている動物の群れだった。
 だが、やはりただの動物ではない。人間で言うと口元にあたるマズルを歪めて皮肉を言ったり、鳥羽で嘴(くちばし)の先を隠してころころと笑ったりする仕草や表情は、みんなひどく人間じみている。
 その動きやざわめきは、疑いようもなく本物のそれだった。つまり、彼らは作り物なんかじゃないのだ。
 そして、煙が晴れたことで、おれは今自分がどのような場所にいるのか分かった。
 おれと目の前の狼男がいる場所は、小さな闘技場のような場所だった。
 部屋の中心が丸い舞台になっており、その周囲にぐるりと椅子が段々になって置かれている。その椅子に座った動物たちが、おれと狼男を見下ろしていたのだった。
 座席から舞台に降りられる階段は二つあり、その内の一つの階段には、やっぱり二足歩行のトカゲがこちらを立って見下ろしている。
 ただ、周りを取り囲む動物たちと、この目の前の狼男と、階段に立つトカゲを見ていて、一つ気が付いたことがあった。
 座っている動物たちも、おれの目の前にいる狼男も、シャツとベストの上に真っ黒なローブをそろって着ているのである。
 そんな中で階段に立つ大柄なトカゲだけは、周囲でざわめく二足歩行の動物たちとは真逆に、押し黙ったまま冷静にじっとおれを見下ろしてくる。
 よくよく見ると、トカゲは周りの動物たちよりも豪(ごう)奢(しゃ)な刺(し)繍(しゅう)や飾りの入ったローブを着ているみたいだ。ローブの下に着ている洋服も他とは違う。
 周囲の様子をうかがっているうちに、おれはふと、あることに気が付いた。
 最初は気のせいかと思ったが、何度見渡しても同じである。

 周りに――おれと同じ『人間』の姿が、一人も見当たらないのである。

     ◇ ◇ ◇

「――ええ、ええ! この世界には君――アキラ・カグラザカ君のお察しの通り、君のような『ニンゲン』という種族は存在しません! この世界に存在するのは、我々のような獣人、あるいはモンスターや動物となりますね」
「獣人……ですか」
 あの後――おれはあのトカゲに連れられて、先ほどの闘技場のような部屋を出ていった。おれだけではなく、目の前にいた狼男も一緒である。
 最初はこのトカゲについていってもいいものかどうか迷ったけれど、他にどうしようもなかった。そして、おれは今、同じ建物から階段をあがった最上階、その最奥に位置する部屋へと連れてこられたのであった。
 そしてそこで聞かされたのは、ここが『獣人』の住む世界であり、おれが今いる場所はその獣人たちが通う学校であるということだった。
「――そうじゃ。サウリア先生が今しがた説明した通り、この世界に存在する文明社会を育んでいる生命体は、我々『獣人』となる。そして、ここはカーネリアン獣王国の王都にある、王立カーネリアン魔法学園じゃ」
「魔法学園……」
 おれの戸惑い交じりの声に、ゆっくりとした仕草で頷(うなず)いたのは、これまた二足歩行のオランウータンだった。あ、いや、おれの世界でもオランウータンは二足歩行か。
 ただ、おれの世界と異なる点は、目の前のオランウータンが太陽のような金色の毛を持ち、純白のローブを着ていることだった。
 目の前のオランウータンこそ、なんと、この王立カーネリアン魔術学園の校長先生らしい。
そして、おれが連れてこられたこの部屋は校長室だ。木製の床はまるで鏡のように磨かれ、その上には幾何学模様の絨(じゅう)毯(たん)が敷かれている。両脇には天井まで届く高さの本棚が置かれ、本棚が置かれていない場所には所せましと肖像画が飾ってあった。そのどれもが、様々な動物や爬(は)虫(ちゅう)類(るい)の顔だ。おそらくは、歴代の校長たちの肖像画なのだろう。
 なお、今は部屋の中央に置かれた応接ソファに、おれと先ほどの狼男、そしてオランウータン校長先生と、トカゲであるサウリア先生がそれぞれ座っている状態だ。目の前のテーブルにはティーカップに注(つ)がれた紅茶が置かれているが、誰も手をつけようとはしない。
「魔法学園ってことは……名前からして、魔法を学ぶ学校ってことですか?」
「うむ。もちろん実践的な魔法以外にも、数学や歴史の授業もあるがのう」
 真っ白なローブを着込んたオランウータン……もとい校長先生は、鷹(おう)揚(よう)に頷いた。校長先生が身じろぎする度に、その長い金の体毛がキラキラとまぶしい。その泰然とした態度とあいまってなんだか神々しさすら感じてしまう。
 まさか、オランウータンを神々しく感じる日が来ようとは驚きである。
 対するもう一人の教師――おれと狼男をこの校長室に連れてきたトカゲは、おれのことを興味深そうに頭のてっぺんからつま先までをじろじろと眺めまわした。
 そんなトカゲに、校長先生がたしなめるような視線を向ける。
「サウリア先生。あまりアキラ君をそのように見るでないぞ。聞いたところ、彼はまだ子供なのじゃ。さぞかし今は心細い思いをしているのじゃから、不安にさせるような真似はいかんぞ」
「は、申し訳ありません。吾輩、ついつい初めて見る生き物に浮かれてしまいまして……」
「すまんのう、アキラ君。サウリア先生は悪い教師ではないのじゃが」
「いえ、大丈夫です」
 おれが返事をすると、校長先生は白い歯を見せてにっかりと笑いかけてきた。
 ……多分、笑いかけてくれたんだよな? オランウータンに笑顔を向けられた経験なんて今日までなかったから、イマイチ自信がないぞ。
「話を戻そうかのう。そうそう、ここは魔法学園じゃ。ちなみに、アキラ君は魔法学園や魔法のことについては、どこまで知っておるかのう?」
「これっぽっちも知らないです。おれが住んでた世界には、そもそも魔法が存在しませんでした」
「ほうほう! それは興味深い! 魔法が存在しないのであればアキラ君の社会はどうやって資源やエネルギー源を獲得していたのですかな? 魔法に代わる代替エネルギーとしてはどのような――」
「サウリア先生」
「はい、すみません校長」
 校長先生に叱られ、しゅんと肩を落とすサウリア先生。
「さて、気を取り直して話を進めようかの。アキラ君は、そこにいる我が校の一年生――カイン・ウルファリスと現在、魔法による『使い魔契約』を結んでいる状況にある」
「使い魔契約……?」
 校長先生の言葉を口の中で反(はん)芻(すう)しながら、おれは隣に座っている男をちらりと見やった。
 そう、おれがこの奇妙な世界に来てから、初めて出会った獣人である。
 彼自身からまだ自己紹介はされていなかったが、校長先生から今しがた紹介された内容によると、彼の名前はカイン・ウルファリス。この魔法学園の一年生というから、ちょうどおれと同い年のようだ。
 銀色のふさふさとした毛皮が、二メートルを優に超す身体を覆っている。着ているのは、制服と思(おぼ)しき白いシャツと紺のベストで、その上から黒いローブを前開きで羽織っている。
 顔だちは、マズルが長く眼光が鋭い。アイスブルーの瞳は冷たい印象を与え、近づきがたいオーラを全身から放っている。
 そんな彼はむっつりと押し黙って腕組みをしたまま、まったく何もしゃべろうとしない。
 その不機嫌そうな顔を見るからに、この状況を歓迎していないのかもしれない。
 オランウータン校長先生はちらりとカインに視線を向けたが、彼が何も言わないのを見て、おれに顔を向けて話を続け始めた。
「魔法学園では、新一年生に最初に使い魔契約を結ばせる。これは我が校に限らず、どこの魔法学園でもそうなのじゃが。……基本的には、使い魔というのはこの世界に存在するモンスターや妖精などが召喚されるものじゃ。しかも、契約者との魂の波長が最も合うものか、使役される意志があるものに限っておる。そういう儀式なのじゃ」
「……でも、何故かおれが召喚されたと?」
「うむ、そこが不思議なのじゃ。まさか、別の世界から、まったく異なる文明を築いている生命体を使い魔として呼び寄せてしまうなど……このようなことは我が校始まって以来なのじゃ」
 そう言って、首を左右に振る校長先生。
 話をまとめると――先ほどおれがいた闘技場のような部屋は、新一年生たちに使い魔契約をさせるための授業中だったそうだ。そして、はす向かいに座っているサウリア先生が、その指導をしていたらしい。
 授業は通常通り行われており、何も問題はなかったはずなのに――なぜか、隣に座るカイン・ウルファリスの使い魔として、おれはこの異世界に召喚されてしまったそうだ。
 正直、今にも泣き出したい。いきなり人間が一人もいない世界に召喚されるとか、わけが分からなさすぎる。
 でも、心の片隅には、どこか冷静に状況を俯(ふ)瞰(かん)している自分もいた。
 ……この人たちに文句を言っても始まらないしなぁ。わざとやったわけじゃないみたいだし、校長先生は終始おれのことを気遣ってくれている。カインとサウリア先生のことはまだよく分からないけれど。
 おれは深呼吸をして呼吸を整え、心を落ち着かせた。そして、一番聞きたかったことを聞く。
「おれは……元の世界に帰れるんですか?」
「その質問には、半分がイエスで半分がノーじゃのう」
「半分?」
 校長先生は苦虫を噛(か)み潰したような表情で答えた。その回答に、おれは目を瞬かせる。
 というか、帰れる可能性があるんだ?
 てっきり、この人たちの深刻そうな様子からして、二度と元の世界には帰れないのかとばかり。
 よくあるよなぁ。RPGとかで、異世界に召喚された人間が「元の世界に戻るすべはありません」って言われる展開。
「この使い魔契約はの、もともと三年間の期間が定められておるのじゃ」
「三年? ……あっ、もしかして学校卒業までってことですか?」
「うむ、その通りじゃ! アキラ君は察しがいいのう。我が校の正式な生徒だったら花丸をあげたかったところじゃ」
「あ、ありがとうございます……?」
 好(こう)々(こう)爺(や)の笑みで、うむうむと頷く校長先生。
「この使い魔契約は、契約者が魔法学園を卒業すれば解除されるようになっておる。契約が解除されれば元いた場所に自動的に使い魔は返されるのじゃ。なお、もしも契約者と使い魔の双方が契約の延長をしたい場合、もしくは正式な契約を結びなおしたい場合には、卒業の日までに新たな契約儀式を執り行う必要がある」
「なんだか契約社員の試用期間みたいですね……」
「ケイヤクシャイン?」
「あ、すみません、こっちの話です。えーっと……それってみんな、契約を解除するんですか?」
「いや、大体半分くらいじゃのう。あとのもう半分の生徒は、正式に契約を結びなおすぞ」
 校長先生の説明によると、この世界には獣人以外に、様々なモンスターが生息しているらしい。
 モンスターはスライムやバジリスク、コカトリスやアルミラージにドラゴンなど、おれがゲームやアニメで慣れ親しんでいるようなものから、ここにいる獣人たちでさえ見たことのないようなものまで様々な種類がいるらしい。
 そんなモンスターだが、中には獣人に対して友好的なものがいるそうだ。
 この学園で行われていたのは、友好的なモンスターを呼び出し、使い魔として使役する契約を結ぶ授業だったらしい。
 召喚する生徒と魂の波長が最も合うものか、使役される意志があるものが自動的に呼び出されて、使い魔としての契約を結ぶ――そのはずが、なぜかおれが召喚されたというわけだ。
 なお、力の強い使い魔を使役していることは、その獣人のステータスとなるらしい。
 だから、より力の強いモンスターと使い魔の契約を交わしたい生徒は、卒業と同時に契約を解除するらしい。
 二体以上の使い魔を使役することはできなくもないが、使い魔には定期的に契約者が魔力を分け与える必要があるそうだ。魔力量が豊富な者であれば、複数の使い魔の使役も可能だが、一般的な獣人では難しいとのことだった。
 それなら初めから強い使い魔と契約をすればいいのに、と思ったが、そうもいかないらしい。
 そもそも新一年生に使い魔契約をさせるのは、彼らに使い魔の使役方法を学ばせ、慣れさせるため。上手く使役ができなければ、使い魔が命令を聞かなくなるばかりか、契約者に牙を剥(む)くことさえある。
 そういうことにならないためにも、まずは魂の波長が合う使い魔を三年間使役し、コミュニケーション方法を学んでいくらしい。
「じゃあ、その使い魔契約を途中解約すれば、おれは元の世界に帰れるんですか?」
「それはできん。使い魔契約というのは、魂と魂の結びつきじゃ。一度結んだ以上は、契約期間が切れるまでは絶対に解約できないのじゃ」
 おれの質問に難しい顔で首を振る校長先生。
 だがその隣のトカゲのサウリア先生は、ちっちっと指を振った。
「いえ、いえ! 無理やりに契約解除しようと思えばできなくもないですよ! ただ、魂と魂の契約を無理やり切断しますので、肉体が三分の一くらい爆発四散しますね。それでもよろしければやってみましょうか?」
「よろしくないです!」
「おや、おや。残念です。使い魔契約を無理やり解約するなんて珍しい事例、ぜひ見てみたかったのですが……」
 しょぼーんと、緑色の長い尻尾を床に落としてこちらを悲しそうに見つめるサウリア先生。
 そんな目で見られても、三分の一爆発四散は絶対にごめんこうむる。
 っていうか死にますよね?
「ああ、ああ、もしかして死亡リスクを気にされているのですか? 大丈夫です、そこは私の治療魔法で万全にサポートしますとも!」
「サウリア先生、いい加減にするのじゃ」
「はい、すみません校長。……でもアキラ君、気が変わったら私にぜひ言ってくださいね」
 そう言って、サウリア先生からバチコーンとウィンクを送られる。
 ……多分、ウィンクだよな? 乱(らん)杭(ぐい)歯(ば)をむき出しにされて片目をつぶられたんだが、多分、あれは笑顔でウィンクをされたんだよな?
 二足歩行のトカゲからウィンクをされたのは初めてなので、いまいち自信が持てないな……。
「ごほん。……で、じゃ。つまり今までの話をまとめるとじゃな――一度、正式に使い魔契約がカインとアキラ君の間で結ばれた以上、これを解約することはできん」
「契約期間は三年で、途中解約は絶対にできない。無理やり解約しようとすると、ひどいペナルティがあるってことですね……」
 なんか携帯電話の契約プランみたいだな。
 いや、そんなにいいものでもないか。なにせ、おれの意志に基づく契約じゃないんだし。しかもクーリングオフとかきかないし。
「うむ。なぜ、別世界のアキラ君がこの世界に呼び出され、カインとの使い魔契約を結ぶことになってしまったのかは分からないのじゃが……こうなった以上、君は三年間、この学園で生活してもらうしかないのう」
「…………」
「不安な気持ちはあるじゃろうが、だが、もう起きてしまったことは仕方がない。我々、学園側も全力でアキラ君とカインのサポートをすると約束しよう」
「……三年経てば……自動的に、契約が切れて……そしたらおれは元の世界に帰れる、ってわけですね」
 おれは、膝の上に置いた両手をぎゅうっと握りしめた。
 脳裏に、色々なことが駆け巡る。
 今日、学校で受けた授業や、明日発売される予定の、好きなアーティストのCD。
 学校の先生、新しくできた友達やクラスメイト。父親。
 そして、母さん……。
 おれが押し黙ると、部屋の中には沈黙が落ちた。
 サウリア先生も、校長先生も、その間何も言わずにおれのことを待ってくれていた。
 隣に座っている狼男の……ええっと、カインだったよな。
 カインもまた、おれを急(せ)かすようなことはしなかった。
 ただ、今までむっつりと視線を正面に向けていた彼が、こちらを見下ろして、様子をうかがっているのを肌で感じた。
 しばしの静寂の後、おれは顔を上げた。
 そして、校長先生とサウリア先生を見て――そして、隣のカインを見た。
 冴え冴えとした月光みたいな、銀色にきらきらと輝く毛並み。
 そして、凍(い)てついたアイスブルーの瞳。
 しかしこうやってまじまじと見ると……すごく綺麗な奴だな。
 身体には均等に筋肉がのり、手足はおれのものよりも太くて長い。それなのに、全体的なシルエットはすらりとしていて、精(せい)悍(かん)さに溢(あふ)れている。銀色の毛皮とアイスブルーの瞳とあいまって、氷でできた彫刻象のような美しささえある。
 不機嫌そうなしかめっ面はちょっと怖いけれど、それを差し引いても綺麗でかっこいいな。
頼んだら一回くらい、毛皮とか触らせてくれないかな?
「……じゃあ、改めて。これから三年間――お前の使い魔になる、アキラだ。よろしく、カイン」
 そんな彼に、おれは手を差し出す。
 ――これが、おれこと神楽(かぐら)坂(ざか)明(あきら)が、この世界の『ご主人様』である狼獣人カイン・ウルファリスとの出会いを果たした日の出来事だった。

     ◇ ◇ ◇

「では、では、これがアキラ君の着替えになります。カインと共に学園内で行動をする際には、この制服か、または運動着を着るように。運動着は予備をいくつか渡しておきますので、私服や寝間着はしばらくはこちらを着るといいでしょう」
「あ、ありがとうございます」
「明日からは五時から八時の間に、大広間に行って朝食をとるように。カインは部活動には入っていますか?」
「……入ってねェよ」
「ならばそれほど早起きする必要はないですね。ただ、これからカインが部活動に入ればアキラ君もそれに合わせた生活になるでしょうが」
「が、頑張ります!」
 サウリア先生から制服一式を受け取った後、おれは今いる部屋を見渡した。
 あの後――校長室から出たおれたちは、生徒が寝起きしている生徒寮へと案内された。
 この魔法学園は、ボーディングスクールなのだそうだ。生徒が実家に帰るのは、夏休みや冬休みの長期休暇だけ。それ以外は、この共同生徒寮で暮らすらしい。
 生徒寮は、学校の校舎と同じように、木とレンガ造りの建物だった。
 アーチ形の窓からはあたたかな光が差し込み、歴史を感じさせる重厚な黒々とした木柱が艶を放っている。
 本来ならまだこの時間は生徒は授業を受けているそうで、生徒寮はがらんと静まり返っていた。
 サウリア先生とカインの後に続いて生徒寮の人(ひと)気(け)のない廊下を進み、階段を上ると、ある部屋の前にたどり着いた。
 その部屋の扉を無造作にカインが開けると、ちょっとホコリっぽい、湿った空気が鼻を突いた。
 部屋の中には、天蓋付きのベッドが二つと、勉強机が二つ、本棚とクローゼットが一つずつ並んでいた。部屋の一番奥には大きな出窓があり、そこにはちょっと古びているものの、赤と緑のタータンチェックのカーテンがかかっている。
「いやいや、それにしても、カインがたまたま一人部屋だったのは幸いでしたね!」
「え? 一人部屋なんですか?」
 不思議に思ってカインとサウリア先生を交互に見つめた。
 だって、この部屋は家具が二つずつある。あきらかに二人部屋だ。
 おれの疑問にサウリア先生も合点がいったようで、こちらに顔を向けると、にこやかに説明を続けた。
「今年の新入生の人数が奇数だったのですよ。見ての通り、寮の部屋は二人部屋ですので。そのため、カインが運良く一人で二人部屋を使っていたというわけです」
「ああ、なるほど」
「……ふん。それに、俺みたいなのがいると、相手が気兼ねするからなァ」
 久しぶりにカインが口を開いたので、おれは彼に視線を移した。
 見れば、カインはいつの間にかベッドの上に座って足を投げ出していた。銀色のふさふさ尻尾はベッドの上でぱたぱたと揺れている。めちゃくちゃ触りたい。
「気兼ねって?」
「いざこざが起きねェようにっつー校長の配慮だよ」
「カイン。校長先生、とお呼びしなさい」
 腰に両手を当ててカインをたしなめるサウリア先生。
 だが、カインは鼻を鳴らすと、ごろんとベッドに横になってしまった。
 そんなカインを見て、サウリア先生はやれやれと首を振ると、おれに向き直った。
「さてさて……とりあえず私は一度、戻りますね。授業がありますので。他にも何か必要なものがあったら遠慮なく言ってくださいね」
「はい。あの、お忙しいところ、ありがとうございました」
「お礼など必要ありませんよ、教師として当然のことです。まぁ、もしも感謝の気持ちがあるのでしたら……」
 そう言って、サウリア先生の尻尾がしゅるりと持ち上がった。
 エメラルド色のなめらかな尻尾の先っぽが、おれの腹部を服越しに突きまわす。
「サ、サウリア先生?」
「もしも、もしもお礼をしてくれるというのでしたら――ぜひ一度、君のこの服の下を見せて頂きたいのですが。我々、獣人と同等以上の知能を持つ、ニンゲンという未知の生き物……身体のつくりを隅から隅まで確かめてみたいのです。ふふふふ……」
「あ、あの……!?」
 尻尾の先っぽが、シャツの隙間からするりと入り込む。
 そして、腹部のやわらかな部分を先っぽでツンツンとつついてきた。
「ひゃっ!?」
 皮膚の薄いところを無造作に触られて、思わず変な声が出てしまう。すると、サウリア先生は食い入るように顔を覗(のぞ)き込んできた。
「おやおや、思った以上にやわらかいのですね。それにやはりここにも、毛皮も鱗(うろこ)も生えていない……ふむ、それなら下の方は……」
「――おい、サウリア先生」
 サウリア先生がおれの腕を掴(つか)んで、身体を引き寄せようとした時だった。
 カインの硬い声がそれを制止したのである。
 おれが声のした方に顔を向けると、ベッドで寝転がったカインとばっちりと目が合った。カインはおれから視線を逸(そ)らすと、サウリア先生をじろりと睨みつけた。
「それぐらいにしてくれ。そいつは一応、俺の使い魔なんだからな」
「おやおや、これは失礼しました。つい知的好奇心の赴くままに行動してしまいました」
 にこやかな笑顔でカインに謝罪をしたサウリア先生が、するりとおれの服から尻尾を抜く。
 おれは慌てて後ずさりして、サウリア先生から距離をとった。
 それを見たサウリア先生が、しゅるるる、と笑い声をこぼした。
「これはこれは、嫌われてしまいましたか。ふふ、なるほど。ニンゲンという生き物は、なかなか臆病で警戒心が強いようですね」
「…………」
「ではでは、また後程お会いしましょう。夕食の時間に、また迎えに来ますね。しばらくの間、アキラ君は注目の的になってしまうでしょうから、なるべく私が一緒に行動しましょう」
 そう言って、サウリア先生はまったく悪びれない笑顔のまま、部屋を退出していった。
 部屋のドアがバタンと音を立てて閉まると同時に――おれは身体の力が抜け、へにゃりと床に座り込んでしまった。
「っ……」
 ちょ、ちょっと怖かった……!
 なんというか……彼ら獣人って、本当に人間とまったく違うんだなぁ……。
 知識としては理解していたが、頭では分かっていなかった。矢継ぎ早にいろんなことが起きたので、目の前の展開についていくのにいっぱいいっぱいだったからだ。
 けれど、さっき……サウリア先生のぬるりとした質感の尻尾の感触や、こちらを見定めるような視線を目の当たりにして、一気に頭が冷えた。それで、ようやく理解できた。
 彼らとは言葉も通じるし、態度だってすごく友好的だ。
 でも……彼らはおれたち人間とはまったく違う文明を築いて、まったく違う価値観を持っている人たちなんだ。
 ……信用はしていいと思う。でも、しばらくは気を抜いちゃダメだ。そんな気がする。
「……あっ! そ、そうだ。その……カイン、さっきはありがとう」
 ぐるぐると混乱状態だった頭が、しばらくして冷静になると、ようやく背後の存在のことを思い出した。
 力の入らない身体をなんとか起こして、ベッドのそばに近づいて彼を見下ろす。
 カインはベッドに頬杖をついた体勢でおれを見上げた。いつの間にか先ほどの黒いローブは脱ぎ捨てられ、ベッドの端っこの方に丸まっている。
 彼は先ほどと同様、冷たい眼差しで、面白くなさそうなしかめっ面をおれに向けた。
「……ふん。ニンゲンっつーのは見かけ通り貧弱なんだなァ。嫌だったなら、あれぐらいテメェで振りほどけよ」
 うっ……だ、だって。そりゃあおれも逃げたかったけれどさ、いきなりのことで咄(とっ)嗟(さ)に反応できなかったんだよ。
「……手間をかけさせて悪かったよ。っていうか、やっぱり獣人から見たら、おれって貧弱に見えるのか?」
「あァ? そりゃそうだろ」
 カインは怪(け)訝(げん)そうな顔でおれをまじまじと見つめた。そんな彼に、おれは首を横に振って答える。
「いや、おれは元の世界では、身長もガタイも男子の平均なんだよ。むしろ、同年代の女の子なら、おれより二十センチも背が低い子だってざらにいるぞ?」
「……マジかよ。ずいぶんとチビ揃(ぞろ)いの種族なんだな」
 信じられない、と言わんばかりにおれをじろじろと眺めまわす視線には、まったく遠慮というものがない。
 その言葉にはちょっぴりイラっとくるものがあったが、カインから見たらそうなのだろうと頷かざるを得なかった。
 カインもサウリア先生も二メートルは身長があるし、校長先生だってカインほどじゃないにしろ、かなり身長高かったもんなぁ。
 でも、それは珍しいことではないようだ。むしろ、彼らの身長が平均値か、それよりちょっと高いくらいなのだろう。
 そんなカインの感覚からしたら、おれが「チビ」や「貧弱」に見えてしまうのも仕方のないことだった。
 ……だからって、ムカつかないわけじゃないんけどね!
 頭では分かってても、やっぱり男としては、チビとか貧弱って言われるとちょっとイラっとくるけどね!
「あー……その、カイン? サウリア先生はあんな風に言ってたけど、夕食までだいぶ時間があるよな? この後はどうするんだ?」
 おれはベッドの脇に突っ立ったまま、カインに恐る恐る尋ねた。
 だが、カインはいまだにベッドに寝転がったままだ。頬杖をついた体勢で、億(おっ)劫(くう)そうにおれを見上げ、そして答えた。
「――――寝る」
「へっ?」
「せっかく面倒な授業を、堂々とサボる口実ができたんだからな。俺は飯時まで眠る。邪魔すんなよ」
 そう言って、カインはごろりとおれに背中を向けてしまった。
 驚いたことに、本当にこのまま眠ってしまうつもりのようだ。
 おれは慌てて寝転がる彼の肩に触れて、ゆさゆさと揺らした。が、カインの身体はびくとも動かない。
「お、おいおい。今から夕食までずっと寝るのか? そんなに昼寝してたら、夜、眠れなくなっちゃうぞ?」
「チッ、うるせェな……今、邪魔するなって言ったばかりだろうが」
 ドスのきいた、苛(いら)ついた声が返ってくる。
 ちょっと怯(ひる)みそうになったが、おれは自分を奮い立たせて言葉を続けた。
「でも、おれはカインの……使い魔ってやつなんだろ? 三年間、嫌でも二人で共同生活をしなきゃいけないんだ。なら、少しはお互いに歩み寄る努力が必要だろ?」
 というか多分、サウリア先生もそれを慮(おもんぱか)っておれたちを二人きりにしてくれたのではないだろうか。なのにカインがお昼寝タイムに入ってしまったら、意味がない。
 それに、おれはもっとこの世界のことや、魔法学園のことについて教えてほしいんだけど。
 けれども、カインの返事はやっぱり芳しくなかった。
 ベッドに寝転がっていた彼はのっそりと身体を起こすと、おれをギロリと睨みつけた。
「さっき、校長室でも言っただろうが。俺は確かにテメェと使い魔契約を結んだが、仲良しごっこをするつもりはねェ」
 カインはマズルから真っ白な牙をむき出しにして、ぐるる、と唸(うな)り声を上げる。
 さすがのおれも慌てて小さく後ずさる。
 そう。カインが言っているのは――先ほどの校長室での出来事だ。
 おれは彼によろしくと告げて、握手を求めて手を差し伸べた。
 だが、彼はおれの手を取らず、それどころか「くだらねェ」と一蹴したのである。
 あの時はさすがに校長室の空気が凍り付いた。
 予想外のことにおれも呆然としてしまった。校長先生がなだめてくれたのだが、けれど、とうとう最後までカインと握手をすることは叶わなかった。
 先ほどの校長室での気まずい出来事を思い出し、おれは再び顔が強張った。
 そんなおれを、カインはぎろりと睨みつける。
「いきなり違う世界に連れてこられたっつーテメェの境遇には同情するがな……俺だってとんだとばっちり、いい迷惑だぜ。俺はもっと、ちゃんとした使い魔が欲しかったのによ」
 舌打ち交じりに呟(つぶや)かれた言葉に、おれはカッと顔に血がのぼるのを感じた。
 心のうちに堰(せ)き止めていたものを吐き出すように、カインに怒鳴る。
「そっ……そんな言い方ないだろ! おれだって、この世界に来たくて来たわけじゃない!」
「ふん、初めて気が合ったな。俺だってお前なんざ、呼びたくて呼んだわけじゃねェ」
 カインはおれが怒鳴っても涼しい顔でそれを受け流した。そして、喉の奥でくつくつと哂(わら)うと、冷たいアイスブルーの瞳でおれを見据えた。
「お互い、不必要なもの同士なんだ。それなら別に仲良しこよしになる意味もねェだろ。たった三年ぽっちの付き合いなんだからな、不干渉でいこうや」
 そう言うと、カインはおれの答えを待たずに、再びごろりと背中を向けてしまった。
 そして、すぐにその肩が上下し始め、寝息が聞こえはじめる。
 どうやら今度こそ本当に寝入ってしまったらしい。
 思いもかけない態度に、おれはしばらくの間、呆然とその背中を見つめていた。
 だが、しばらくすると、怒りはだんだんとおさまり、代わりに悲しみとひどい失望がふつふつと胸のうちにこみあげてきた。
「……たった三年って言ったって……」
 ……そっちにとってはたった三年でも、おれにとっては『三年も』なんだけどなぁ……。

 はぁ……こんな奴と三年間も一緒に共同生活を送るっていうのか?
 なんかもう、初日からうまくやっていける気がしないんだけど。

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